4月11日東北の被災地へのボランティアの準備


この日は東北の被災地(石巻市)へのボランティアの準備を行いました。

4月12日に出発して3日間分の食糧や水、着替え等の持ち物を用意しなければなりませんでしたので、忘れ物がないかどうか入念に確認しながら準備をしました。

私が住んでいる池谷集落は2004年の中越地震以降、JENを通じてのべ1000人を超えるボランティアの方々の支援を受けながら震災復興を果たし、現在は5名の移住者を迎えるまでになっております。

地震の前は高度経済成長によって、農村からどんどん都会に人が流れていった時代に池谷集落もどんどん過疎化が進んでいきました。隣の入山集落は平成元年に廃村になりました。

池谷集落は地震でそれまで9世帯あったのですが6世帯に減りました。

しかしながら、地震を機に前述したようにボランティアの方々が村に来るようになり、村の雰囲気も一変したと言われています。

集落のある方は「もう10年早く地震が来てくれたらよかったのに」と軽口をたたくまでになっています。

このような集落に縁があって住むようになったので、今回の地震では私も何かできないかと考えるようになっていました。

そんな折に、JENが泥出しボランティアの募集を開始しましたので、今回現地に行く事にしました。

と、こんな事を書いていますが、実は、私自身は高校生の時に大阪で阪神大震災を経験し、福岡で働いていた時期に福岡県西方沖地震が発生したものの、元々ボランティア活動に関心がある人間ではありませんでした。

阪神大震災の時は、丁度テストがある日だったのですが、学校に行ってみると地下鉄が止まって登校できない生徒が半分ぐらいいたために、急遽休みになり「これはラッキー」と思って不謹慎にも登校していた友達同士で集団でカラオケに行きました。

福岡で働いていた時はほとんど休みなしで深夜まで働く日々が続いており、たまに休みが取れたら家でダラダラしたいと思う程、余裕がありませんでした。

しかしながら、前職の株式会社ピープルフォーカス・コンサルティング(以下PFC)という会社にいた時に意識が変わりました。PFCは社会貢献の活動にも力を入れており、その一環でJENの支援もしていました。

私もJENを支援するプロジェクトのメンバーとして、JENの事務所にもよく行ったりするようになりました。

そうこうしていると、「折角JENを支援しているのだから現地に行って支援の現場を見てみたい」と思うようになりました。

そんな折に丁度JENから届いた郵送物の中に今私が住んでいる池谷集落で行われた「田んぼへ行こう!!」の案内チラシが入っていました。

この時期、「将来食べ物を自分で作れるようにならなければ将来家族を安心して養う事は難しくなるだろう」と思い、農業にも興味を持ち始めていた時期でしたので、この「田んぼへ行こう!!」に申し込みました。

すると、JENの担当のH田さんより「申し込みがいっぱいなのでキャンセル待ちです」と連絡を受けました。

H田さんは、私がJENの事務所に何度も訪問していた時によく打ち合わせをしていた方だったので、

「何名ぐらいキャンセル待ちになっているのですか?」と聞いたところ、

「多田さんだったら運営ボランティアで参加してもらうという選択肢もありますよ」

という風に言って頂き、無事何とか参加する事ができました。

しかし、これが池谷集落との運命の出会いになるとはその時は全く思ってもみませんでした。

おそらくこの時、「そうですか、それなら残念ですがあきらめます。」という風に引き下がって池谷集落に行かなければこちらに今住んでいるかどうかわかりません。

1回目の池谷集落訪問をきっかけに何回も池谷集落に通うようになり、ボランティアというものに対する見方が変わってきました。

以前は興味もありませんでしたし、

「自分一人がボランティアをしたからといって何が変わるわけでもないので、関心のある人だけがやればいい。」

「ボランティアなんて偽善や自己満足なんじゃないか?」

などという風に考えていました。

ですが、実際にボランティアの人達が6年間でのべ1000人以上来る事で震災前よりも活気が出てきた池谷集落にずっと住んでいる人達の話を聞くと、ボランティアの力というのは大きな力になり得るという事をとても実感しました。(まあボランティアもいい面ばかりではないという事もおっしゃってますが。)

なので、一人一人の力は小さくても継続して多くの人が関わる事で今回の被災地が一日も早く復興してほしいと思います。

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多田朋孔

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自然に囲まれながら、半分自給自足に挑戦しています
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